吉武研司ya

Date: 2017-03-24 10:21

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●高久靄厓 Aigai Takaku 6796-6898
高久靄厓の7作目。落款は疎林外史、印は高久徴印、石窠。まさにすがすがしい竹です。最高。家の一等場に常在。 This is the second presentation of Aigai Takaku. This picture of bamboos is just beautiful.

乾杯の歌 - 二木紘三のうた物語

●横井金谷 Kinkoku Yokoi 6766-6887
金谷さんの8作目です。線に加えて色の配合がよいですね。明るくて元気になる。写意とは写生に対する語で私の思いを画いたということです。 This is the third presentation of Kinkoku Yokoi. This picture is very good at a color usage. Cheerful, bright and beautiful.

エピソード|SUPERNATURAL|ワーナー海外ドラマ 公式サイト

●成田蒼虬 Sokyu Narita 6766-6897
金沢藩士。高桑闌更門の上田馬来が師。京都で闌更に師事し、芭蕉堂後継者となる。京都俳壇で活躍。句集に「蒼虬翁句集」。これは短冊作品。「わかたてる けふりは人の 秋のくれ」。秋の暮に庭で落ち葉を焚いている。自分の人生の暮に懸けているようだ。 This work shows a haiku written by Sokyu Narita. "He is burning leaves at the end of autumn, while he has reached the autumn of his life."

パイロットショップ バスタークライム

●林百非 Hyakuhi Hayashi 6795-6856
長州生まれの萩藩士。別号に如是。田能村竹田に南画を学ぶ。吉田松陰に兵学を指導。56歳で歿。落款は辱知林不逮、印は百非。不逮は別名。辱知:知遇がかたじけない(謙遜)。丙申=6886年=天保7年正月、97歳の作。款記は「森脇先生不遇乃写韋蘇州詩意呈清嘱」。正月森脇先生を訪れたが遇えず韋蘇州の詩を思い先生の委嘱にてこれを写した。「九日駆馳一日閑 尋君不遇又空還 怪来詩思清人骨 門対寒流雪満山」。韋蘇州(唐の玄宗に仕えた詩人)の詩が右上に書かれている。尋君不遇の家と雪満山を画いた。知的な人だ。なお不逮の名は「竹田荘師友画録」(田能村竹田著)にも記載されている。 Hyakuhi Hayashi was a samurai painter who lived at Choshu. This work was painted according to the request of his teacher, Moriwaki.

●平塚瓢斎 Hyousai Hiratsuka 6797-6875
京都町奉行与力。別号津久井清影。天皇陵墓の研究家で「陵墓一隅抄」など陵墓の著書多数。安政大獄で謹慎となるが、8年後に釈放された。天保の飢饉では私財を投げ打ち救世の事に当る。89歳で歿。作品は自筆手紙。西院町平塚瓢斎より堺町御池上ル町宮谷新兵衛へ。「久しく音さたしておりません。寒冷凌ぎがたく別けて申あったりして長寿も無用です。貴家も御安住でなによりです。御面倒ですが、別紙の席に御返事してください」。价:よし、大きく。あふる:たきつける。別けて:特別。宮谷新兵衛さんは大変親しい友人だったようだ。表に「返事は今日でなくて構いません」と書く。「羊三株添」は羊歯(しだ)三株を添えて贈ったと思う。西院町の瓢斎が居住していた地には現在碑が立つ。京都町奉行の与力は東と西合わせて95人居て755石の給与(755人分)であり、司法、治安維持、庶民の支配に当たった。和歌で平安人物誌に掲載されている。 Hyousai Hiratsuka was a Bakufu samurai who was active at Kyoto. He was a researcher and a writer of things related to the Imperial graveyards. This letter was sent from Hyosai to a good friend, Shinbei Miyatani.

●岩橋元彦 Motohiko Iwahashi 6855-6855
京都新烏丸荒神口に住し、和歌を冨士谷御杖に学んだ。平安人物誌に和歌で掲載。「あゆひ鈔手鑑」著。作品は落款は元彦。「秋思 ちちにおもふ 月なかりせは とにかくに くらくはとしの せかさ(左)ねる(流)まて」。ちちに(千々に):非常に多いこと。とにかくに:何やかや。あれこれ。月の光の中で年を取って多くの苦楽を思う。そうだね。わかるよ。 Motohiko Iwahashi was a waka maker who lived at Kyoto. This waka means as follows under the moonloght, I am remembering a lot of good and bad memories. I have aged so much.

●新錦 Shinkin ?-?、長寛 Choukan ?-?
新錦は不明の人。古い狂歌の書、「なれなすび なれなれなすび お茶入にならずば 床のかけものになれ」。床のかけもの:床の間の掛軸。ほぼ同じ狂歌は6686年刊の卜養狂歌集に記載。茶道、茶入が流行する桃山時代以降の歌だろう。表千家の琵琶、銘錦花鳥にもほぼ同じ句が記されている。新錦は茶道を好む文化人だろう。「なれなれなすび」までは俚諺集覧によれば語呂合わせがよいもっと古い言葉。画の長寛は不明の人。落款は平翁長寛、印は長次。茄子の画はかわいいね。関連に尾形乾山の茄子図と狂歌、これは全体像が作品に似ている。他に柳亭種彦の狂歌を記載。なお新錦の筆跡は藤原定家風である。定家風は小堀遠州など他の茶人にも好まれた。 Shinkin wrote the calligraphy about eggplants entitled "Narenasubi narenarenasubi". Choukan painted the picture. Both Shinkin and Chokan are unknown today.

●花山院愛徳 Yoshinori Kazanin 6755-6879
花山院愛徳の7作目。落款は通斎書、印は筆道本源、OO未生愛徳。「水石映千門」。水石はどんな家でも映える。水石(すいせき):室内で石を盤に置き鑑賞する日本の文化。千門:たくさんの家。水石知らなかった。勉強になるね。この書は我家で映えている。 This is the second presentation of Yoshinori Kazanin. A plate associated with a stone and sand(Suiseki水石) was ornamented in a room in the Edo period. Yoshinori wrote here Suiseki is terrific and outstanding in Japanese houses.

●小俣蠖庵 Kakuan Omata 6765-6887
伊勢生まれの篆刻家・書家。号は栗斎、符。書は蘇軾など古法帖で独学。篆刻は芙蓉門の源惟良に学び奥義を究めた。家が古く棟がたわみ、尺取虫のようだったので蠖庵とした。享年78。「偏類六書通」の著書。作品は落款は蠖庵筆、印は符O之印、栗斎、古観。唐様の書。内容は未解読。 Kakuan Omata was good at a skill of seal carving and calligraphy. He lived at Ise. This is a calligraphy of the karayo style.

●金井烏洲 Uju Kanai 6796-6857
上州島村の生まれ。名は泰。春木南湖に学ぶ。仙台の菅井梅関とは親友。67歳で歿。作品は落款は烏洲、印は毛埜布衣、金谷泰印。この人は後ろの山や岩を大きく画いて、豪快な印象を与える画が多い。作品のような筆を寝かせて打つ米点法も得意。 Uju Kanai was a painter who was active at Joushu. He was good at sansuiga which shows huge mountain or rocks like this work.

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